私の娯楽の1つがyoutubeだが、動画によっては楽しい、頑張ろうという気持ちにさせてくれるもの、勉強になるもの、癒されるもの、嫌な気分にさせられるもの等々、様々なある。
今回はその中でも、嫌な気分にさせられるもの「ネガティブなコンテンツ」について。
特に「貧乏を売りにしたコンテンツ」を見ないことをこれからさらに強化していきたいという話だ。
貧乏コンテンツ
「貧乏コンテンツ」というものの定義をまず話していきたい。
貧乏コンテンツとは、「貧乏であることを自慢・正当化するもの又はお金についてネガティブな発信をする動画・音声・文章」と定義する。
例を挙げると「金が無いとひたすら訴えるもの」「私の方が貧乏とマウントを取るもの」
「貧困になるのは政策が原因だと他に原因を求めるもの」「お金もしくは投資についての言い争い」「投資等で損をする様子を見せるもの」
そういったものが挙げられる。
貧乏コンテンツの良さ・悪さ
ネガティブなものだが、意外と見たくなってしまう。
ここで、貧乏を訴えるコンテンツにどのような良さ・悪さがあるか考えてみた。
貧乏コンテンツの良さ
貧乏コンテンツの良さは以下のようなことが挙げられる
・仲間がいると思える
・私の方がマシだと思える
・優越感に浸れる
・反面教師にできる
私自身、こういったコンテンツをこれまで大分見てきた。だからこそ良い所も書くことができる。
同じ立場の人間がいるんだという安心感。ざまあみろという優越感。こうはならないぞという意思を持つことができる。
貧乏コンテンツの悪さ
実際に大量の貧乏コンテンツを見て思った悪い面は以下の通りだ。
・足の引っ張り合いが起こる
・このままで良いと思える
・ネガティブな思考が湧く
・見ているだけで心が貧しくなる
貧乏コンテンツを見て、自分もこのままで良いと開き直ったり、SNSでお金のことについて罵り合い嫌な気持ちになったり、そのせいで時間を無駄にしたり、感情的になったり。
もうこんなことはこりごりだ。
2つを比べてみて良さ悪さどちらが大きいか
貧乏コンテンツを見ることに関して、私は圧倒的に「悪い面」の方が大きいと思う。
見たところで、何も変わりはしない。寧ろ、目指すところと逆に。下へ下へと自分が引っ張られていく感覚に陥る。上に行くことは一切ない。
ネガティブな他人の偏見で心をかき乱され、時間を無駄に過ごす羽目になる。
時間だけを消費し、1円にもならない。何も学びを得ることもなく、楽しくもない。
だが、なぜ見てしまうのか。
それは、ネガティブなコンテンツには特に人を惹きつける力があるからだろう。
人は本能的にネガティブな面に注目してしまう。悪い面に注目し先を考えること。それは、生き残りに直結するからだろう。
だから、理性的に「見ない」と判断し、強く心に決めない限りは、ネガティブなものを見てしまう。
私もここで宣言することで、「貧乏コンテンツを見ない」と言う行動を強化できればと思う。
こういった動画や文章を見ないだけで、1年に何時間・何日という時間が浮くだろうか。どのぐらい心穏やかに過ごせるだろうか。
浮いた時間で色々なことができる。
見ない方が圧倒的に良いに決まっているじゃないか。