「低資産FIRE」と言われるものは、何かと批判が集まりやすい。
記事で取り上げられた低資産FIRE者がコメント欄で叩かれることは珍しいことではない。
今回は、なぜ低資産FIREが叩かれるのか考えてみたいと思う。
低資産FIREとは?私の中での認識
私の中では、「1000万円以下の資産でサイドFIRE」を行うことを低資産FIREであると勝手に思っている。
サイドFIREとFIREは意味が違うと個人的に認識しているが、なぜか低資産FIREの話題になると若干働いていても働いていなくともFIREという扱いになっている。
FIRE・サイドFIREという名称にこだわらなければ、低資産FIREとは「1000万円以下の資産で自由な時間を得ている状態」と言えるのではないだろうか。
低資産という状態でどのように自由な時間を得て生活しているかは人によって異なる。
徹底的な節制で支出を抑える者もいれば、フリーランスで収入を得ている場合もある。
ブログ、YouTubeその他の自営業かもしれない。
時には失業保険を収入としている場合もある。
なぜ批判が集まりやすいのか
全てのことに言えると思うが、物事に対して必ず批判する者が現れる。
「低資産FIRE」についても同じで、いくら個人が満足していようとも、いくら生活が成り立っていようとも、アンチコメントを残すものが現れる。
「そんなことできるはずがない」から始まり、「老後はどうするのか」「つまらない生活」「結婚は?」「金は使うものだ」等々、これまでの壮大な人生で培ってきたすばらしい偏見を述べてくることだろう。
前に「低資産FIRE」に関する記事を見たことがあるが、アンチの割合というものは意外に高い(※個人比)
これはなぜだろうか?
なぜ、このようなことが起こるのだろうか?
私は、このように低資産FIREに対してアンチコメントが多いのは「立場の近さ」が関係しているのではと考えている。
自分の手に届く範囲内の話だからこそ、「羨ましい」と考えるし、同時に「そんなことできるはずがない」と考える。
まあ、いわゆる「嫉妬」である。
自分は毎日働いているというのに、なぜこいつは働かずに自由なんだ。
そんなのあり得ない。いつか崩壊するに決まっている。
という彼らの思念が文体から伝わってくる。
低資産FIREは資産額で言うと比較的届きやすい額である。ゆえに対象となる人物が多い。
だからこそ、多くのコメントとアンチコメントが出てくる。
もし、これが1億円でFIREだったら、大半の人にとっては別世界の話だと思うはずだ。その時点で嫉妬は生まれないし批判の対象にはならないだろう。
「諦め」から来る嫉妬の無さである。
低資産FIREにアンチコメントを書くものほど、立場が近いのかもしれない。もしくは自分の手に届くものだと勘違いしている者なのかもしれない。
批判コメント全てがアンチではない
アンチコメントの煽りを食らったインフルエンサー達はYouTubeやtwitterで直ぐに反論したり、「アンチに負けない」と言い始める。
ブロックすることで自分に反対する意見を締め出し、理想郷を作ろうとする。
しかし、そのコメントは本当にアンチなのだろうか?
寄せられたコメントに対して決めつけずに向き合う必要もあると感じる。
アンチコメントだと思っていたそれは、もしかすると根拠のある批判かもしれない。