2022年某日。
スマホを落とした。そして壊れた。
スマホを修理するまでの期間はなんと1週間。
そこで、スマートフォンが無い間に起こる心の動きや不便さなど思ったことを日記形式で書いていこうと思う。
いわゆる「デジタルデトックス」というやつ。
「デジタルデトックス」を行って何か変わることはあるのだろうか?
そのような疑問を持つ方は、参考になるかもしれない。
デジタルデトックスとは何か?
まずは基本的な部分。
「デジタルデトックス」という言葉の意味を軽く理解していきたい。
デジタル・デトックス(Digital detox)とは、SNSやスマートフォンやコンピューターといったデジタル機器の使用を自発的に控えていくこと、またその期間のことである。
現代ではデジタル機器やインターネットに費やす時間が増加しているため、こういったデトックスが人気になっている。
Wikipedia「デジタル・デトックス」
スマホ・PC・ゲーム機・・・色々とあるとは思うが、デジタルデトックスとはそのようなデジタル機器の利用を控えることでデトックス(依存から離れること)を目的としたものであると私は解釈した。
しかし、ここには「自発的」という単語が含まれている。
私の場合、「スマートフォンが壊れた」そして、「修理できる環境が周りにない」という要素が重なり結果、強制的なデジタルデトックスに繋がっている。
そのため、Wikipediaで言われている「デジタルデトックス」とは少し意味合いが異なるかもしれない。
強制デジタルデトックスの条件
デジタルデトックスと言っても、連絡手段が必須なこの世の中。ネット環境を完全に遮断する訳にもいかない。
そのため、ある程度は条件を付けて生活に支障が出ない程度に行っていきたいと思う。
現状、スマホが壊れ操作不可能とはいえ(その時点で支障はあるが)、幸いノートPC(ネット接続なし)が存在している。
今回はメールの確認・返信や生活に必須であろう場合(移動手段の予約)はネット環境を借りてノートPC行いたいと思う。
また、日課にしている日記と今回のデジタルデトックスの感想・記録についてもネット接続を行わず一部wordを用いて書くことを許してほしい。
それ以外では、連絡手段として必要な場合には電話を用いる。
しかし、LINE・Twitter・Facebook・YouTubeなどのSNSを用いた連絡・動画視聴は行わない(しかし、前半はメッセージ連絡のために使用している)。
また、6日目に「しれっと」パソコンでYouTube動画を見てしまっているが、それはご愛嬌ということで。
筆者のスマホ依存度について
事前に筆者のスマホ依存状況を確認したいと思う。
私自身、スマホにはだいぶ依存しているという自覚がある。
1日の使用時間は8~12時間程だ。画面をつけている時間となるともっと長いかもしれない。
朝起きるとすぐにスマホを確認し、スマホを見ながら朝飯を済ませる。
同様にトイレ・移動中・待ち時間・テレビを見ながら・風呂に入りながら・寝落ちする直前までスマートフォンを握って生活している。
用途としては主にYouTube・Twitter(ゲームはしていない)だ。
また、知人の連絡先やメモ・今後のスケジュール・クレジットカード情報・キャッシュレス決済関係・ポイントカードと言ったものももちろんスマホの中にすべての情報が入っている。
正直。スマホなしでは生きていけない。
これらを踏まえて感想を書くことにする。「心境の変化はあったか」また、「デジタルデトックス後の依存度」についても終盤で書いていきたい。
スマホを落とした直後:何もできない
深夜23:40頃。スマホを落とした。運悪く画面側から着地してしまいもうタッチ操作ができない。
振り返るとここから私の強制デジタルデトックスが始まっている。
今日、深夜バスでの移動を控えていた。
その直前にスマホを落とし、何もできない状態になってしまった。
幸か不幸か、スマホはバスの予約画面が開かれたままフリーズしていた(画面は割れているが)。
移動中、音楽も聴けないし、動画も視聴できない。スマホの修理屋すら探すこともできない。
移動中は酷かった。何もできない。
移動中合間にある休憩も手持無沙汰な時間が大半だった。格安バスのひどい客層と合わせて不快感は増すばかりだった。
感想としては非常に不便。娯楽が一切なくなったような気持ちだ。
別の時間帯のバスを予約していればこんなことにはならなかったかもしれない。
あの時一歩動いていなければスマホを落とすことは無かったかもしれない。
修理代はどのくらいかかるだろうか。
移動中は1時間も眠れず、そんなことばかりを考えていた。
1日目:卒業式の写真が撮れない・スマホでのSNSが利用不可
結局あれから満足ができる睡眠はとれなかった。
朝6:00時頃に目的地についた。降りた直後、連絡手段を求めネットカフェに向かうことにした。
今日ここに来た理由は大学の卒業式があるため。その後にしばらく帰省する予定。
一度ネット環境を確保し卒業式に会う予定の友人にスマホが壊れた旨を連絡。
以降、音声アシストにて電話を掛けることができると判明したので、その手段を用いることに。
当然、LINE等のSNSアプリは利用できない。相当不便に感じることはもちろん。卒業式の写真を撮れないことがだいぶ不便(写真は後に共有してもらうことになった)。
SNSが使いたくても使えない状況は中々厳しい。
待ち合わせするにも気軽に連絡が取れないし、電車に乗っていても暇つぶしも何もできない。
SNSが利用できないことで殆どの友人に連絡を行うこともできない状態になった。
また、大半の知り合いとは連絡が不可能になった。
今の時代、友人と電話番号を交換することは無いと思っていたが、万が一の事態に備え交換しておくのも良いと思った。
感想としては非常に不便。連絡が全くできない。
写真で記録ができないことは非常に残念。特に卒業式の写真を撮れなかったのは「なんだかなぁ・・・」という感じ。総じてイライラする。
その日の夜。そのまま実家行きのバスに乗り、日付を跨ぐ。
2日目:バーコード決済とYouTubeは使えない。本は読めた
今日はコーヒーを飲みに行った。実家近くのカフェに行ったのだが、注文する際に電子マネーやバーコード決済ができずに現金で払うことに。
ポイントが貰えず損した気持ちになった。
で、飲み物が完成するまでに何分か時間が掛かる訳だが、それを受け取るために待っているとなんだか手持無沙汰な気分になる。
「何かを見ていたい」
そんな気持ちになる。
また、コーヒーが来て席に座るも無性にTwitterを確認したくなる。タイムラインがどうなっているのかフォローしている人はどのようなつぶやきをしているのか気になる。
しかし、確認できない。
ただ外を見ていても暇なだけでしんどかった。
帰ってきても手持無沙汰で暇。
夕飯を食べた後、テレビを見るが面白い番組がやっていない。こんな時に限ってポケットwifiを持ってこなかったので、アマゾンプライムで映画を見ることもできない。
もちろん、YouTubeも見ることができない。
そんなことをごまかすように本を読むことにした。集中できたのか半分ほどを一気に読むことができた。
PSPもあったので「ぼくの夏休み2」を少しだけやる。(楽しかった)。
それにしても、バーコード決済やポイントカード(スマホ連結済)を利用できないことが不便でたまらなかった。ポイントも貯まらないので損した気分になった。
また、飲み物の完成を待っている間や飲み物を飲んでいる間もスマートフォンがないと手持無沙汰になってしまうことがわかった。
意外と無意識にスマホを見ているのだなと・・・
また、好きな動画を好きなタイミングで見れないことはストレスがたまった。
しかし、普段スマホをいじっている時間で本を読めたことは唯一の成果だと感じる。
というかスマホという誘惑もない(壊れている)ため、これしかできることが無かった。
ゆえに集中できた。
3日目:トイレにスマホを持って行けない。しかし、目が疲れていない
今日は帰りの移動手段を調達するためにネット環境を借りてその予約を行った(パソコンにて)。
それ以外はメールの受信確認をした。
それと、音声アシストを用いて友人に電話で連絡を取った。実家から帰るついでに友人宅に寄ろうと思ったためである。
その後は家族と買い物に行く。特に支障はなかったものの、無性に株価を確認したくなる。
株価の確認も1日に1回以上は行っていたので、いつの間にか習慣化されてしまっていたことに気が付く。
また、トイレの際にもスマホを持って入るほどだったが、スマホが壊れていれば持って行くことすらできない。
ただただ用を足す。
いつもは動画を見るので10分以上は入っている時があったが、それも無くなり2~3分の時間となる。
やはり、無意識のうちに悪い行動が習慣化されてしまっていることに気が付く。トイレにスマホを持って行くことを辞めれば、時間の節約に繋がることに気が付いた。
これまで習慣化していることが無くなると何か物足りない感じもするが、眠りにつく際ふと気が付いた。
「目が疲れていない」
そんな気がする。
4日目:私服でも時計を身に着けだす
スマホが完全に使えなくなった。音声アシストも操作不可となった。
そんな中、ふとした瞬間にネット環境が欲しくなる。動画を見たい。ネット検索をしたい。
不便 不便 不便。
また、スマホで時刻が確認できなくなった点も大きな痛手だ。
私自身、腕時計はいらないと思っている派だが、今回ばかりは事情が違う。
普段つけない腕時計を意識してつけるようになった。
着用したらしたで、便利かもしれない。そう思った。
一々ポケットからスマートフォンを出して時刻を確認するよりもスムーズに確認できる。
そして何より、愛着がわくような気がした。
スマホを失って4日が経ったがここで気付くのが、「スマホ」自体に依存しているというよりも「インターネット環境」に依存していると言うことである。
5日目:メモ帳を使いだす
ニュースを見るとドル円が123円でかなり驚いた。
いつもスマホがあればどこかで目にするはずなのだが、スマホを壊してからそういった情報は全く見なくなった。
テレビでは流しているのだろうが、ちょうどよい時間に見ることができなかったようだ。
外出して、普通にスマホを家に置いていっていることに気が付いた(昨日までは壊れていてもなぜか持ち歩いていた)。
そして、スマホの代わりに持っていたのは「メモ帳」と「ペン」だ。
以前はスマホにメモっていた今日あった出来事や思ったことを今度は紙に書くようになった。
文字に書いてメモを行った方が頭に入るように思う。
しかし、時間が掛かるし、一々バッグからメモを取り出さなくてはいけないのは面倒だ。
5日経つが、相変わらず情報を知りたいという欲求は無くならない。
6日目:パソコンで少し動画を見る。YouTubeがつまらなく感じる。
今日は友人の家に行く予定。待ち合わせ時刻を事前に電話で相談していた。
新幹線に乗るとwifiが繋がっていた。友人に連絡ついでに久しぶりにパソコンでYouTubeを見たら、なんだかばかばかしくなった。
なんであんなに毎日狂ったように見ていたのだろうか。
そう思った。
その時は、動画を一本見ないうちに閉じた。
どうやら見たいタイミングではなかったようだ。
それにしても、スマホがないと待ち合わせには苦労する。
すれ違いが起きてしまい、結局集合時間より30分くらい遅れて合流。
何とかなった(笑)。
6日が経過したが、上にあるように動画を1本見終わらない内に閉じた理由はただ単に視聴した動画が「つまらない」という訳では無さそうである。
これまで家では隙間なく動画を垂れ流していたこともあり、無いと不自然であると今まで思ってしまっていた。
「暇さえあれば動画を見る」という行為は異常だったのかもしれない。
習慣は怖いものだと感じた。健康に良いこと(ランニングや筋トレ等)も習慣になるが、反対に健康に悪いこと(スマホをずっと見る等)を続けても習慣化してしまうことが恐ろしく感じられた。
最終日:スマホが直る。外の世界と繋がり嬉しくなる。
修理屋に行く途中、道に迷った。
スマホのGPS機能はやはり便利だと思う。
修理中。時間をつぶす方法は何もなかった。こんなにモノが多いというのに、映画・スタバ・ゲーセン・・・街での暇つぶしというものは金がないとできない。
街中を見ると誰しもがスマホを片手にしている。どこに行ってもそうだ。
暇つぶしをコスパよくできるのがスマホなのだとそう思う(もちろんネット環境は必須)。
スマホがあれば便利なだけではなく、暇も潰すことができる。そりゃあ依存する訳だ。
そして夕方、スマホが直った。
スマホが直ると早速、家族や友人に報告した。
なんだか、外の世界に繋がった気分だ。
こうして私のデジタルデトックス生活は幕を閉じた。
あとがき:抹殺法による究極のデジタルデトックス
これがデジタルデトックスと気が付いたのは書籍「行動分析学入門」という本を読んでいたためである。
依存を無くす方法としてそのもの自体を使えなくする又は視界に入らないようにする「抹殺法」という項目があり、このスマホを壊してしまった当時と似た状態であると気が付いた。
デジタルデトックスを強制的に行うためにうってつけな方法は、この「抹殺法」なのだと思う。
しかも、「壊す」という過程があるからこそ、究極の「抹殺」が実現する。
スマホを壊している期間中、いつでも繋がっているのではなく、真に周りと繋がらない状態を作れるのはスマホ等機器を壊す以外は何もない。
そのほかの手段である「他人に預かってもらう」とか「隠しておく」とか「ロック付の箱に入れる」といった手法とは全く違うと感じる。
なぜなら万が一の「保険」が無いから。
壊れているのだから、緊急連絡をできる保証もないし、そもそも気が付かない。着信があっても気が付くことは無いし、折り返しの連絡も不可能だ。
そう感じる。
あの、誰とも連絡が取れずに不安になり、やがて一周回ってやってくる「諦め」のような感情は本当に味わえないものであると感じた。
後日談:結局。元の生活へ。
結局、スマホが直った後は元のスマホ生活に逆戻り(ただ一つトイレにスマホを持って行くことはしなくなった)。
しかし、好きな時に好きな動画を見たり、道に困ったときにマップを見て経路検索を行ったり、次の電車の時間を調べたり、友人と連絡を取ったり、なんてありがたい道具なんだと感じるようにはなった。
しかし、この感情も月日が経てば薄れてゆくのだろうと思う(10日くらい経っておりすでに薄れている)。
しかし、今回のことは大変貴重な体験ではあった。
修理代約3万円という非常に高い金額を払ったものの、スマホのない生活のためにそのお金を払ったと考えると、まあ、何とか心を保つことができる(笑)。
正直効果があったのかはわからない。しかし、メモ帳を用いてその時の感情をメモするのは新鮮な気持ちだったし、本を読むことも新鮮だった。
目の前にあることに集中できたことも非常に新鮮だった。
友人と電話番号の交換ができたことも良かったことの一つかもしれない。
その体験に何を見出すのかは個人ごと異なると思うので、機会があればネットの情報(意味があるか&ないか論争)に振り回されず取り敢えずやってみてほしい。
スマホを辞めたい皆様方。辞められないのであればいっそ、そのスマホを壊してみてはいかがでしょうか?
まあ、恐らく無理だろうけど。