FIRE・セミリタイア

FIRE・セミリタイアは自由なのか、それとも一番金(カネ)に縛られているのか。

FIRE・セミリタイアを目指している以上、やはり考えてしまう。

何を考えるかというと、「FIRE・セミリタイアという行為自体が最も「お金」に縛られているものなのではないか」ということだ。

今回は、そんな考え事をグダグダとしていきたいと思う。

FIRE・セミリタイアを考えると真っ先に浮かぶのが金

FIRE・セミリタイアを考え始めると、真っ先に浮かぶのが「金」。

金を稼がないと、なにも始まらないと私は感じている。

経済的自立。これを目指すには、何をどう考えても金や稼ぐ力が必要になる。

リタイア後、収入>支出を達成するには長期(しかも10~20年)にわたる計画的な貯蓄・節約・家計管理と裏での副業・投資が必須と言える。

この過程を挟まないと(金が圧倒的にあれば問題ないが)達成したとしても必ずどこかで計画はとん挫すると思う。

何が言いたいかというと、FIRE・セミリタイアを目指している人(少なくとも私)は、他人よりも金のことを第一に考えている。

YouTubeを見るとしたら節約・投資・セミリタイア系動画だし、金関連の事柄を考えない日は無い。スーパーに行っても高いものはあまり買いたくないし、外食もしたくない(もちろん代わりに自炊はする)。

高い趣味はより一層手が出しにくいし、旅行なんてもってのほか。少し遠出するだけでも電車賃のことを考えてしまう。

こうしている間に、自分の行動範囲がみるみるうちに狭くなっていくのが感じ取れる。

私はそれで問題ないし不便には思わないが、代わりに何かを失っているような気もする。

最近はそのことがどうも引っかかる。

本来、FIRE・セミリタイアは「自由」を目指して行われる行為のはずなのに、その「自由」の裏側にはどうしても「金」という問題が付きまとう。

まるで、長期投資と言いながら日々の株価を気にし、短期取引に用いるはずのレバレッジを賭けているレバナス民のように。

FIRE・セミリタイアは本当に「自由」に繋がっているのだろうか。少し、窮屈なのではないだろうか。

しかし、こんなことはFIRE・セミリタイアを行っている人たちはあまり話さない。寧ろ、Twitterには「幸せ」や「良かった」という言葉が散見される。

私目線では最近それが「自己正当化」のように見えている。何か影が潜んでいるように感じる。

自由とは?

何をもって自由なのか。そんな哲学チックなことを考え始めるときりがないような気がする。

FIRE・セミリタイアを目指すには金のかからない趣味と金のかからない食事と金のかからない考え方が必須だろう。

何かにつけて「金」が付きまとう。

そして、それらを抱えて20~30代は質素倹約。FIRE・セミリタイア達成後も同様。資産が減らないように立ち回る必要がある。

FIRE・セミリタイアを目指しても、成し遂げても、金は一生ついて回る。

それは、FIRE・セミリタイアを目指していない人よりも重く付きまとう。

それは本当に自由なのだろうか。何か失っているモノは無いのだろうか。

金・金・金。それは果たして、本当の自由と言えるのだろうか。

ABOUT ME
しゃけづ
「しゃけづ」と申します。労働を始めて2年目。人生の選択肢としてFIRE・セミリタイアを加えるために奮闘中です。 2025年中に総資産1000万円を目指しています。 今使っている腕時計が止まったらFIREします。それまで後悔が無いよう生きるつもりです。