皆さんこんにちは。ブログ「大学生から始めるセミリタイア日記」をご覧いただき、誠にありがとうございます。
私「しゃけづ」と申します。
私、大学4年生で就職活動が終わった身です。
今回の記事では、就職活動の振り返りも含めて、「なぜ、全国転勤にこだわったのか?」という部分について考えていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いします。
就職活動の振り返りと流れ
ここからの章では、私の就職活動がいつから始まり、いつ終わったのか。その間に何をしていたのか。
という部分について書いていきたいと思います。
就職活動は3年生の夏から始めた
私が就職活動を始めたのは3年生の8月です。これについては
我ながら早くない?
とは思っていましたが、IT・小売業・金融業・メーカー等、そこそこのインターンシップには参加していました。
早め?に就活を始めた理由は、「その場の緊張感に慣れるため」「どの業種が向いているか」を見極めたいと感じたからでしたが、今となってみれば。
もっと違う視点で見れていればよかったかなあ・・・
とは感じています。ですが、とにかく当時はインターンシップに参加することが目標みたいになっていましたが。
業界が決まったのは3年生の1月
11月辺りにインターンシップにて第一希望の会社?に出会います。当時の私は、
雰囲気が自分と合ってそうだなあ・・・
と、社員の方々を見て思っていました。
具体的には、なんか「あまりガツガツしていない」「落ち着いている」といった雰囲気が、個人的には合っていると思ったみたいです。
それをきっかけに、第一志望の会社で毛ではなく、その業界自体を見始めることになりました。
最終的には、3年生の1月には「この業界で就活しよう」という部分が決まっていました。
第一希望に落ちた。
悲劇。悲劇です。第一希望に落ちました。
時期は4年生4月。
11月から細切れに開催されていたインターンシップ(オンライン)に欠かさず参加し、最終的には現場見学も行った会社に最終選考で落とされました。
2月から書類選考・面接が始まっていましたが落ちた。
今までかけた時間が無駄になった。
めちゃくちゃショックでした。
今でも思い出すと、心臓が
きゅっっっ!!!
と締め付けられる思いです。今でも引きずるってことはダメージ大きいんだろう。
あの時、こうしていればよかったのか?
なぜ、あの時もうひと踏ん張りしなかったのか?
今でも思い出して思考がぐるぐるします・・・
内定を頂いたのは5月
そんな私が内々定をもらったのは5月。正直惰性で2月からインターンシップ(オンライン)を行っていた同業界の企業から内定をいただきました。
規模は第一希望の企業よりも小さめ。3回の面接を終え、翌日朝に内々定の電話をいただきました。
志望度的には第一希望に比べると低かったので、電話を受け取った際は「別に嬉しくない」という感情を隠すため、必死のから元気で、
はい!!!ありがとうございます!!!
と、ベッドの上で言ったことを覚えています(バリバリの寝起きだった)。
実は私、内々定をもらった後も就職活動をしっかりと続けていました。
なぜなら納得できなかったから。
しかし、なぜか力が抜けてしまい、肝心なところで努力できない。そんな状態に陥りました。また、同時期、「内定ブルー」の沼に嵌っていきました。
そこから悩み続けて今
結局、あきらめきれない私は、就職活動を終わらせた体を装って8月まで企業を探していました。
一時期は、別業界を視野に入れたり、地域を絞ってみたりと色々考えました。
きれいな話であれば、ここから努力して大企業への内定をつかむのでしょうが、
私はあきらめました。もう、志望動機も何も思い浮かびません。書類の志望動機や自己アピールが全く思い浮かんでこない。
内定をもらった企業の評判を見ては時間を無駄にする。大企業に受かった友達を見ては変な気持ちになる。親や学費を出してもらっている祖父・祖母からの目も気になる。
就職活動をしている3年生8月から現在に至るまで思っていることがありました。それは、
前に進んでいる感覚が全くない。
あの時からずっと、停滞している感覚があった。
この記事を書いているのは9月です。私はいい加減、前に進むことにしました。
当時からなぜか全国転勤にこだわっていた気がする
就職活動中、なぜか一貫していたのは「全国転勤」という条件です。それは、インターンシップを行っている頃から変わりませんでした。
早く内定をもらいたいという気持ちはもちろんあったと思います。そのため、競争率が低めの転勤がある職業が目についたのかもしれません。
業種上、拠点が全国にある企業が多いというのも関係しているとは思います。
下の章では、その理由について短めに掘り下げていきたいと思います。
なぜ、なのだろう。原因があるかも知れない。
いろんな場所に住んでみたいのかもしれない。
「様々な場所での生活を体験してみたい」これは意外とあるかもしれません。
私自身は転勤族とかそういう訳ではないのですが、今後生きていく上で「地元とその周辺しか知らない」というのと「様々な地域の生活を知っている」とでは、
経験値のようなものに差が出てくるのではないか。
と感じています。
「考え方が偏っている」または「こうやったらこうするのは当たり前だと信じて疑わない人」にはなりたくないと、私は思っています。
そうならないためには、様々な環境に身を置くことが大切なのではないでしょうか?
離れたかったのかもしれない。
私は、もともと「リセット癖」のようなものがあります。そこまで酷くはないものの、小学校の交友関係を一時断ってみたり、中学校・高校卒業時はLINEの友達を大幅に削除してみたり。その程度です。
大学生になってもある程度交友関係がある友人は数人います。
就職を機に大幅にリセットしてみたいのかもしれません。「親」「親戚」「友達」「評判」「地元」。すべてから離れたいのかもしれません。
一度一人きりになって考えてみたいのかも。
離れてよかったかは離れてみないと分かりませんね。←当たり前だろ
現状、不安でいっぱいだ
最近、考えすぎて眠れなくなることも多いです。しかし、6月辺りから比べれば良くなった方です。
全国転勤の職業に決まり、配属は来年3月くらいに出るとのことなので、かなり不安です。
せめて、ここら辺とか教えてくれよと人事の方には文句を言いたいですが、仕方がない。
不安と期待があるものの不安が圧倒的に大きい。
不安を箇条書きしてみるとこんな感じ。
・すぐに辞めるかもしれない
・親と簡単に会えなくなる。もしもがあったら?
・何もかもが初めてだ
・仕事が合うのかもわからない
・先を考えすぎると程度が知れていて絶望する
・精神的に病むかもしれない
・セミリタイアまでは15~20年。長すぎる。
・仕事や環境についていけるかわからない
・祖父や祖母の死に目に会えるかわからない
・友達ともう会えない
・何もかも一人でやらなくてはいけない
・親に介護が必要になったら?
・一人は本当にさみしくないのか?
・転勤の度に人間関係はリセットされる
ざっとこの程度でしょうか。もちろん。もっとあります。
この不安を抱えながら、社会人になります。この程度しかわかっていません。いま、社会人として働いている方から見れば、「甘い」この一言でしょう。それは申し訳ない。
ですが、今の私にとっては大きな問題なのです。
本当のことは働き始めてからでないと分からない
どんなにホワイトな会社という評判があろうが、どんなに自分に合っていると思った仕事であろうが、実際にやってみないと分からないと思います。
意外とやっていけるかもしれませんし、やっぱり無理だと思うのかもしれません。
こんなことを働く前に考えている私ですが、やはり
「働いてみないと分からない」
これに尽きると思います。まずは、先を見すぎるのではなく、自分の目の前にあることをしっかりやっていこうと思います。
これを見た将来の私は、何処にいて、何を思うのでしょうかね?
まあ、納得内定なんてものは一部の人しか取れないものだと思います。どこかで妥協しないと前には進むことはできません。鬱々としているよりも楽しみを見つけた方が精神衛生上良いかもしれません。
☟ちなみにこれが私の楽しみです。「まだ貰ってすらいない初給料の使い道について」です。
今回は以上になります。
それでは、また。