仕事を始めて、自分の時間が大幅に減って、不自由に感じている私である。
SNS上でも、「自由になりたい」という言葉をよく見かけるし、自由の押し付け合いもよく目にする。
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そんなこんなである時ふと、「自由」とは何か考えるようになった。
今回の記事はそんな考えをまとまりのない文章で書いてみる。
自由に当てはまっているのだろうか
言葉的な意味としての「自由」は
「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。」
と言う意味だ。
さて、、、今の私は「自由」に当てはまっているのだろうか?
それとも、当てはまっていないのだろうか?
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当てはまっているかという尺度が既に自由ではない。
極論を言うと
極論言ってしまえば、私たちは既に自由なのだと思っている。
学校をサボろうが、仕事をサボろうが、どこかに遊びに行こうが、やろうと思えばすぐにでもできるはずだ。
実家に帰ることもそうだし、仕事を辞めたり、アルバイトで暮らしたりなんでもそう。
何もしなかったり、お酒飲んだり、自炊したり、2度寝したり、働いたり、節約したり、、、
死ぬことですら自由だ。また、生きて行くことも自由だ。
挙げればきりがない。
こう考えると、私は想像以上に「自由」なのかもしれない。
なのに不自由に感じている自分がいるのも間違いない。
じゃあ、その不自由と感じさせている原因はなんだ。
何もかも自分で判断できるはずなのに、不自由と感じるのはなぜだ。
不自由と感じさせる理由で無難なのは「世間体」だろう。要するに周りの目だ。
しかし、人の目を気にするのも気にしないのも自身の自由だとしたら?
結局、「自由・不自由」は自分の価値観に依るところが大きいのだろうなぁ・・・と感じる。
どうしたら自由を感じることができるのか
自由というのは言葉的な意味だけでは足りず、自分の中で定めておく必要があるのかもしれない。
自分なりの自由を定めれば、実感しやすくなるのかもしれない。
どう思うか次第で自由になれるのかもしれないし、もしかすると私たちは既に自由なのかもしれない。
しかし、自由にやったらその分だけいつか不自由という形で自分に跳ね返ってくるかもしれない。自由にやっただけ責任は伴うとは思う。
よくわからなくなってきた。まとまっておらず本当に申し訳ない。