自由がほしい。自由に基準となる価格があるとすれば、それに向かって必死に頑張ることができると思う。
☟本編
奴隷についての記述
バビロンの大富豪を読み直していたところ、今回は奴隷について述べられている部分が目に付く。
古代バビロンの奴隷制は、首尾一貫していないように思われるが、法律で事細かく決められていた。例えば奴隷は、あらゆる種類の財産を所有することができた。更に他の奴隷を持つこともでき、奴隷の奴隷に関しては主人であっても全く干渉できなかった。また奴隷は非奴隷の人間と自由に結婚もでき、自由人の母親の子供は自由人だった。とはいっても市の商人の大半は奴隷だったと言われている。その中には主人と共同経営者になって裕福な物も多かった。
『バビロンの大富豪「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』より引用
上記の引用は奴隷制の一部である。バビロン(都市)ではなくバビロニア(地域)だが全体像が知りたい場合、「古代バビロニアの奴隷制」と言うページを見ることをお勧めする。
上記引用はバビロンにおける奴隷制の良い部分を抜き取った物である。この法律が現実では守られていたか不明だが(忠実に守られていない想像はつく)意外と今のサラリーマンに似ているところがある。
もちろん、現代は雇用主を裏切ったら死刑になったり、極端に物として扱われたりと、人権が脅かされることはほとんどないが、「労働力」として扱われている点は同じだろう。
そして、不自由であることに気が付き、抜け出そうとしなければ何も変えることができない点も奴隷とよく似ている。
時代は異なるが「バビロンの奴隷」と「現代のサラリーマン」の共通点は意外と多くあるように見える。
自由を買うために金を貯め、運用する。
「バビロンの大富豪」後半で「自由人」への強烈な憧れを抱く奴隷の描写がある。
彼は、この奴隷と言う身分から抜け出すために所有権を買い戻すよう真面目に必死で働き金を稼ぐ。
そう。彼は自由を金で買い戻そうとしているのだ。主人にしがみつくことを辞め、真の意味で自立して生きることを選択したのだ。
今こんな人がいるとする。
平日。週に5日。仕事をして、時には顧客から、時には上司から虐げられ一日の大半を使う。
プライベート中も仕事のことが常に頭にあり、意識を傾ける必要がある。
働けど働けど儲けは直接自分に入ってくることはなく、サブスクリプションのように定額で報酬は支払われる。
休日は目の前にある物欲に負け、物を購入し、「普通」「世間体」と言う言葉に踊らされるがために財布の中は常に空っぽの状態。
そして彼は雇用先でまた働き続ける。下手をすれば死ぬまで。
奴隷と全く同じという訳ではないが、やっていることは奴隷とさほど変わらない。
こうした状況を打開したいと思ったからこそ、FIREやセミリタイアという「自由」を目指すのではないだろうか。
自由を目指して資産額の目標を定め、仕事し、節約し、運用する。バビロンの大富豪の教えのように金が金を稼ぎ、その金がまた金を稼ぐ状態を作り上げる。
コップから溢れる前の水は決して飲まず、溢れるまで金を入れ続ける。溢れても入れ続ける。
FIREやセミリタイアと言う概念も「自由を買い戻す」と言うニュアンスに近いのではないだろうか。
その過程で、周りの人からは否定的な意見を貰ったり、理解されないこともあるはずだ。
しかし、経済的に自由になることをきっかけにして、精神的にも時間的にも自由になれると私は信じている。
☟自由と不自由について面白いページがあったのでURL貼り付けます。