3月21日:気分転換
新居に来てから1日経過。
今日はガス屋が来て点検。点検の方が私より若くしっかりしていて、本当に凄いなと思う。私も働き始めたらこんな風になれるのだろうか?
そして、引越し業者が来て荷物を置いていった。少ない荷物だとは思っていたが、開封するとなると意外と時間かかる。ちなみにまだ終わっていない。
荷物をまとめていると、電話がかかってきた。叔父からの電話。
私、叔父に引っ越し日伝え忘れてました。叔父は今日私をご飯に誘おうとしてくれていましたが、祖母から引っ越したと聞いて驚いたそう。
気分転換した方が良いと教わりました。ずっと籠っていると精神的にまずいとのことで、近くにある定食屋とか巡ってみれば気分転換にもなるし、楽しいとのこと。
確かに、意識して外に出た方が気分転換になりそう。いつの間にか引きこもっていて自覚がないまま精神が病んでしまうかもしれないし、今のところ負担には感じていないが、環境の変化によって知らず知らずのうちに精神的にストレスを負っているかもしれないし。
ということで夜は日高屋に行くことに。この店、私の住んでいた地域は無かったんですよね。
期間限定らしい麻婆豆腐定食を注文。私にとっては辛い。けどうまい。
定食を食べる前、買い出しをしていたのですが帰ろうと玄関付近を見たところ、どうやら隣の部屋にNHKの集金が来ていたよう。鉢合わせは面倒くさそうなので一旦時間をおいて帰宅。
買い出しをしたもので夕飯後はチョコレート寒天を作りました。冷えるまで時間が掛かるので明日のお楽しみ。
3月22日:住民移動届
今日は転入届と警察署に行き免許の住所変更を行った。
雪降ってた。まさかこんなところでも雪が降るとは思いもしなかった。
ついでに業務用スーパーに行って冷凍ハンバーグを購入。
やらなくてはいけない手続きは大体は終わった。後は、部屋の片づけだ。
3月23日:挨拶
今日は職場挨拶に行った。どうやら私は4月からここで働くらしい。表面上の優しさを持つ上司。しかし、ここは人の出入りが激しい部署のようだ。
その場にいた何人かに挨拶。合わなそうな人は出会った時点で大体わかる。雰囲気でなぜか感じるものがある。
上司はコロナ禍の学生は「報われない」そう何度か言っていた。その言葉が自分に対して向けられているようで、後で振り返ってみると何とも言えない気持ちになった。
そんなに報われない会社に入ってしまったのだろうか。
片親のことを言うと、なぜか必要以上に同情された。なんだか気まずくなるから普段言うことは無いが、聞かれたら正直に言うようにしている。
最近正直に話すようになったが、大学入学当初は気まずくなることを恐れて言わなかった時期があった。そのため、大学入学から4年付き合いのある友人にもこのことは言っていない。
なので、未だに友人の中には私の作り上げた架空の父親が生きている。そんな話はどうでも良い。
職場挨拶が終わった後は家に帰る。昼飯を食べて、掃除して、引越しの段ボールを畳んで。ひと眠り。
夜はバスに乗って大学がある地域まで帰るのでバス乗り場まで移動。夜の駅は酒臭い。
マスクをしていてもわかるような甘ったるいにおいがそこら中から漂ってくる。 高速バス乗り場近くには大きな会社のビルがある。それを見るとなんだか悲しい気持ちになった。
せっかく大学に行かせてくれた祖父は大きい会社への就職を望んでいたし、私は期待を裏切ったのかもしれない。
想像以上に希望に満ち溢れることのない社会人生活の始まりに私は絶望しているのかもしれない。
3月24日:卒業
朝からスマホを落として壊すやら、4列シートの深夜バスの周りがひどいやら(平気でリクライニング・モンスターを開けて飲む)卒業式前はなんだかんだひどかったのですが、何とか友人と合流し、卒業式に出席することができました。
スマホは今も壊れたままいつ直せるか全くわかりません。
違う進路へ、違う土地へ、違う業種へ、違う環境へ、
一生の別れか。それとも縁が続くのか。
写真を無性に撮りたがるよっ友がいた。あいつは一体何のために写真を撮るのか。全くわからない。彼は別れの行事である卒業式に友達でも作りに来たのだろうか。
途中、もう一生顔を合わせることもないだろう知り合いと挨拶しながら卒業証書を受け取った。私の通っていた大学にもクラスのようなものはあるが、そのクラスの中での知り合いは私自身全くいないに等しい。
証書を受けっとった後。ようやく卒業するという実感が湧いてきたような気がする。
その後、また、友人と待ち合わせる。
数カ月間も借りていた小説を返し、少しだけ話す。お互いの進路報告だ。
どうやらその友人は専門学校に通い直すという。目指したいものが見つかったようだ。本当なのかは知らないが、私はその判断を尊重することにした。頑張ってほしいと心から思う。
互いに不安はありそうだ。形は違えど世の中の人間ほとんどがそうなのだろうとは思う。それをあまり口には出そうとはしない。そのまま、また会おうと言って別れた。
そして、他の友人と合流し夕飯を食べに行く。酒は飲まなくても問題ない。最後かもしれない時間を楽しんだ。
最寄り駅まで送り届けてもらった後、その日のうちに実家に帰った。
帰る途中、涙が止まらない。深夜になり人が全くいない。別れの悲しさと実家が近い安心感が同時にやってきたような気がした。
3月25日:こんな時間
実家は大きい家ではない。だが、そこに家族がいるのだから実家は実家だ。
今日は母が交換し損ねていたお年玉はがきを交換し、お茶を飲み、買い物をした。夜は地元の郷土料理的な物を作ってもらった。
やはり、いつ食べてもおいしい。なんというか、元気になった。「あっちに帰ってからも寂しくなった時に作ってみようかな」とポツリと言ってみた。
食べた後はだらだらして、本を読んだりした。珍しく一気に半分くらい読むことができた。
今日は特別なことをしたわけでもないが、こんな時間も貴重な時間なのだと気が付く。
3月26日:ケーキ
今日は親と買い物に出かけた。靴を買いたかったのだが、結局良いものが無かったのであきらめた。うーん。
親の誕生日が近かったのでケーキを買った。小さいものだが喜んでもらえたと思う。帰りは久しぶりに車を運転して家に帰った。
3月27日:卒業証書
祖父に卒業証書を見せに行った。
祖父は、祖母と2人でいる間は、年のせいで耳がほとんど聞こえない影響もあり、あまりしゃべらないらしい。私やもう一人の従兄が来たときはよくしゃべるとあきれながら祖母は言う。
そんな祖父との会話は会話と言っていいのかわからない程一方通行だ。
祖父が一方的に話し、私がその話を聞く。それで私が伝えたいことや訂正したいことがあればパソコンで文字を打ってその画面を見せる。そうすると祖父はまた話始める。
この繰り返しだ。
とにかく身体が資本だから健康には気をつけろと再三言われた。
大学に通わせてくれてありがとう。と恥ずかしくてなかなか言えない。
3月28日:前日
今日は実家から帰る前日だ。
しかし、特別なことは何もしないし予定もない。新しい靴を買って、車を運転してお茶を飲みに行くくらいだ。
「もう明日かぁ」と母が言う。そうだね、と返す。今日はこの会話を永遠とできそうだ。
3月29日:別れ
その日の昼。出発することにした。
大きな荷物は新居に送ってしまったし、持っているのはリュック1つだけ。かなり身軽な状態だ。
また、食欲がなくなりそうだと母は言う。慣れでしょ。と私は返す。
出発のために玄関に行くと突然悲しくなる。
玄関先でさよなら。と言う。また悲しくなる。もう少し扉を開けてはいたかったが、涙が出てきそうだったので扉を閉じる。
一人になる。
新居への移動途中。友人の住んでいるアパートがあるのでそこにも寄っていく。
友人といるときはやはり寂しさも紛れるし、楽しい気分にもなる。その日の夕食は友人と定食を食べる。
また、実家に帰るついでに寄ると言って別れる。
24時を回り、深夜バスで移動する。移動は意外と快適だった。
3月30日:到着
朝6時到着。この日はスマホを治してもらう予定があったが、時間が早いので一度新居に帰りひと眠りする。
バスはやはり少ししか眠れない。
いつの間にか12時になった。そして何とか迷いつつもスマホの修理店へ到着。途中、人が多すぎて辟易する。
スマホを修理してもらっている間は、蕎麦屋に行きそばを食べる。相当腹が減っていたのか、とてもおいしく感じる。
お店の伸びきっていないそばはやはりうまい。
それ以降は特にやることもなくふらふらすることに。それはそれでしんどい。しかし、そこら辺にある店にも人がギュウギュウに詰まっている。
これに慣れるのはいつになることやら。
スマホは治った。修理代は痛かったが、スマホのない1週間は貴重だった。そう考えれば良い経験だったかもしれない。
3月31日:何も考えられない
カレー。作ってみた。友人に「今日までは学生。」とLINEを送る。
部屋の中が妙に静かに感じる。
明日は入社式。それ以外何も考えられない。