良いお年を。そして、明けましておめでとう。
12/30 本当に救えない人。
今まで、ほんの少しだけ「話せばわかるのではないか」と思っていた。そして話してみた。救い出そうとして見たんだ。
結果は、と言うと救えなかった。私が救おうとした相手には肝心な自我が無かった。内省する力が無かった。
言葉は通じても意味が通じないので救えなかった訳だ。自分の無力さも痛感した。もう、触れない方が良いと、話す前にあった疑念が確信に変わった。
12/31 登りたい山
良いお年を。と言って職場を出たのは夜の9時。残りの3時間を良い年にするためにこの日記を書き、家計簿をまとめる。そして、来年登りたい山を考えていた。
花の名山。山形県と秋田県に跨る鳥海山に登りたいと思う。日本海が見える山に登るのは初めてになる。まあ、雪が溶けた頃に行くのでまだ半年以上は時間がある。
また、来年の最終目標はテント拍で北岳に登ること。それまでまた体力をつけて山での経験値を貯めて挑もう。
25/1/1 akeome
2025年になった。あけおめ。
趣味に関しての目標は昨日書いたので、資産額の目標でも書いとこう。
資産額目標は1600万円。これはブログにも散々書いている。実際のところ「もっと欲しい」というのが本音のところで、2000万円を目指したいところではある。
残り約840万円といったところ。給与収入だけでは明らかに実現不可。
「投資の収益を上げる」しか今のところ選択肢はないかな。難しい。
1/2 不健康day
仕事が10時に終わり、職場を出たのは11時前。
スーパーが開いていないのでラーメン屋に突入する。家系ラーメンを大盛で食べて、帰りにコンビニでお菓子を買う。家に帰ってからハイボールを作り一緒に食べる。その後、酔いの眠気に任せて爆睡する。
不健康を福袋にしたような1日となった。
1/3 「ないとしたら、お前のせいだぞ」
年末何も見るものが無くて、N響のコンサート特番を何気なく流していた時に、井上道義のインタビュー映像がなぜか目に入った。
「希望はあるか?ないとしたら、お前のせいだぞ」
この言葉が妙に頭から離れずこうして時間のある今日、また思い出された。
ショスタコーヴィチの交響曲13番「バビ・ヤール」に対してのコメントな訳だが、絶望の中にも希望を見いだすことがある。と言うことなのだろうか。
この曲が作られた時代よりも明らかに幸福な現実に生きている自分たちが「希望がない」と嘆く光景はまさに「お前のせい」なのかもしれない。
1/4 ある程度年を取ると
こいつ、今までどうやって生きてきたんだ?と疑問に思うほど悪い性格や態度の人は意外といる。
小さな子供が駄々をこねておもちゃを買ってもらうように。
その態度をとったことによる下手な成功体験。これが周りの手伝いもあり強化され続けた結果のあれなのだろう。
数十年行動が強化されてきた。その行為が自分の中で自然になってしまった。そして年を取ってしまった。こうなったら、手の施しようがない。その人の古い脳みそでは、自分の力で直すことも他人から正してもらうことももう遅い。おぉ、成れ果ての醜い姿よ。
1/5 利益確定した一部を寄付に
個別株を持っていて価格が上がると、「もっと持っていれば株価が上がり続けるのでは?」みたいに思ってしまうところがある。相場が好調なら株価が上がり続けるので良いと思うが、相場が下落に転じた際には利益を確定し、手元の現金を増やすことが大切かと思う。
利益確定の理由付けとして「寄付」と言うのもありなのかなと(実際にやるかは不明)
なぜ寄付なのかと言う点については「幸せをお金で買う5つの授業」と言う書籍を参考にしている。寄付する(他人のためにお金を使う)ことによる幸福度は自分にお金を使う行為よりも高く持続する。利益確定の正当化。手助けになるのではと感じる。
額はあまり関係ないらしいので、やるとしたら利益の0.5%~1%程だろう。