こんにちは。「しゃけづ」です。
「完食指導」と言う言葉をご存じでしょうか?
その名の通りですが、「食事を残さず食べるように指導する」と言う意味です。当然と言っては当然ですよね。
残さないことは確かに大切なのかもしれません。
しかし、それは些か強引なものになっていませんか?
強引な完食指導というものは指導対象にトラウマを植え付けると同時に食事を楽しくないと認識させるものでもあると考えます。私は実際にそう感じましたし、成人して尚未だに食事を楽しいものであると認識できていません。
今回は、私の経験の中でも「強引な完食指導」を受けた経験を保育園・小学校・家庭の状況に分け、お話ししたいと思います。
強引な完食指導
食べ物に感謝して残さず食べる。確かに。それは大切なことだとは思います。
しかし、その前提にある物を無視してはいけない。
前提にあるのは「必要な人に必要な量が与えられている」と言うことです。
その前提を無くしてしまえば、ギャル○根家が1回の夕飯で消費する白米1.5升を提示(しかも制限時間付き)されたとしても、
あなたは「世の中には食べ物を食べることができない貧しい子もいるから、自分は幸福な方で感謝して残さず食べよう」と言う気持ちで完食しなくてはいけない。
そして、完食できずに困っているあなたに、あなたよりも立場のある人から迷惑そうな顔でこう言われるわけです。
「完食は当然だよね?早くすべて食べてしまいなさい。私は食べたぞ?残すことは許されない。完食までは自由な行動は許されない。」
この例は極論かもしれませんが、強引な完食指導はこれに当たります。場合によっては怒鳴られることさえある訳です。
それが毎日あります。生きるために食べることは必要ですが、この状況が続けばどうなるか。
嫌な顔されないよう。怒鳴られないよう。食べることになります。
その先にあるのは恐怖であり、拒否反応です。
保育園での完食指導「廊下」
これが、恐怖の原点なのかもしれません。
当時の私(4~5歳の頃)は元から食べるペースが遅い方でしたが、給食は自体は美味しいと感じていていました。
また、当時の私には特別嫌いな食べ物やアレルギーと言ったものもありませんでした。
そのため、ごく普通に食べていたわけです。
しかし、どうしても配給された量では時間内に食べきることができませんでした。当時の記憶は曖昧ですがその状態が数日続いていたのだと思います。
そんなある日、完食指導が行われるようになります。
その時の記憶だけは強烈に残っています。
給食が完食できない日がしばらく続き、当日も片付けの時間が迫ってもすべて食べきれない私は焦っていました。そしてその時、
保育士の方から怒鳴られました。
そして怒鳴られながら、給食が食べきれていない5名程と無理やり教室の外に机ごと追い出されました。
どうやら、給食を食べきらないと教室には入れないらしいです。
皆泣いていました。急に訪れた疎外感の中、幼い子供は泣くことしかできません。嗚咽の入り混じった泣き声です。どうしようもありません。そのような中、給食を食べました。
そして、しばらく放置されました。
その件があってから、給食には不安が付きまとうようになりました。時間を気にしながら、また怒られるかもしれないという不安の中食べるようになりました。
食べることに対して少し嫌いになりました。
しかし、もう一つ上の学年に上がったころにはそのような不安はなくなっていました。普通に食べれるようになりましたし、その時の給食に対する嫌悪感は一時的なものとなりました。
小学校での完食指導「圧力」
小学校の給食は保育園のもの比べて味が変わりました。
そのため、また食べるペースが落ちました。振出しに戻ったみたいです。
また、量も多くなり、完食が難しくなりました(何とか時間ギリギリで食べていました)。
そのような中行われた完食指導は一言でいえば「圧力」
私のクラスでは、給食が全て食べれない際に教師に申告して許可を貰わないと残せないようになっていました。
例えば、どうしても食べられないものがあった場合、先生の元(教卓かまるかんの前にいる)におぼんを持って行き、
先生○○を残します。(もしくは残してもいいですか?)
と言わなくてはいけませんでした。
別にこれ自体が悪いという訳ではありませんが、問題はその後です。
「○○を残します」と言った後、先生はこちらを睨んできます。又は無視されます。何度も「先生」「先生」と言っても無視されることもしばしば・・・
場合によっては、昼休みに突入しそうであっても残す許可が貰えない場合もありました。
こうなってしまうと周りに迷惑が掛かってしまいます(片付けが遅れてしまうので)。こちらとしても焦りの感情が湧いてきます。
時には給食が片付けられた後も食べていたこともありました。その時はおぼんを直接給食室にある残飯入れに持って行きました。
周りに迷惑を掛けたくなければ早く食べろとなりますが、当時の私はプレッシャーを感じ、小学2年生からは給食を食べるのが更につらくなりました。
具体的には、給食時間になると緊張してしまい、食べ物が喉を通らなくなりました。また、吐き気もしてくるようになりました。
当時は食べきれない給食をポケットや机の中に収納したこともあり、つらい思い出です。
おまけ:家庭での完食指導「賄賂」
当時5人家族で暮らしていましたが、完食指導と言えないまでも、食事が嫌いになるエピソードもありました。
私自身「食べることが遅い」と言うのは前章で述べていたことですが、これは給食時だけではありません。
家庭での朝食や夕食の際もそうでした。
そのため、よく家族からは「食べるのが遅い」とか「まだそれしか食べてないの?」と言う言葉を掛けられながら食事をしていました(笑)。
食事が遅いとか食べるのが辛いとか気持ちがわからないと思うので仕方がないのかもしれません。
それと、食事をする際の雰囲気も良くはなかった。それについては後々記事に書こうかと思います。
余談ですが、「ペースが遅いから早く食べてくれ」なんて祖母からお金を渡されたこともあります(500円)。←人のことなんだと思っているんだ。
食事を残さないことは誰にとって大切なのか
恐らくですが、給食や食事が作業のように感じたり、吐き気や喉のつまりが起こるようになるまで、上記エピソードのようなものが何度も何度も積み重ねで起こっていたのでしょう。
食べないからと言って強引なもしくは間違った完食指導を行えば「負のループ」に陥ってしまう。
このような形のように。
スタート:小食もしくは食べることが遅い
食事を残して怒られる
☟
プレッシャーを感じてさらに食べれない
☟
食事を残して怒られる
☟
プレッシャーを感じて食べられない(以後ループする)
これでは、完食指導の目標である「食べ物を残さないようにする」と言う意図からは大幅に外れたものになってしまいます。むしろ真逆です。
これでは、目標を達成することはできないでしょう。別のアプローチが必要です。完食することを強要することは無駄なことです。
また、考えたいところは、
その完食指導は「何のために行っているのか」と言う点です。
食料生産者か?食事を作ってくれる方か?それとも自分のためか?
少なくとも、苦しみながら食べている人のためではないでしょう。
今回の記事は以上になります。
それでは、また。